《消されたデ・クーニング》の作者の語りと美術館の解説

制作の経緯を知れば、作品の解釈まで決まるのか。SFMOMAの制作資料と作品概要を比較し、記録の出所と解釈の関係を検討する。

目次と関連資料

この記事の目次

作品・出典

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制作についての語りにも時点がある

SFMOMAの資料一覧は、消されたデ・クーニングのドローイング(1953)の制作についての主要な語りを整理している。作品完成の11年後にあたる1964年に経緯がまとまって出版され、1999年のインタビューも資料に含まれると記している。作品年と、制作を語った年は一致しない。[1]

作者が語った内容を読む際にも、いつ、どの媒体で、どの出来事について述べたかを確認できる。制作当時の記録と、後年に振り返った語りでは、資料としての位置づけが異なる。作者の文章であることだけで、時間の差がなくなるわけではない。

制作の記録と解釈の問い

SFMOMAの作品概要は、消去の行為を敬意、挑発、破壊などのどれとして理解するかを問いとして残している。制作の経緯を確認することと、その行為の意味を1つに決めることは、同じ作業ではない。[2]

前者は出来事の資料を照合し、後者は残った物や記載、制作の関係から考察する。美術館の解説も作者の語りも必要であるが、一方を読めばもう一方が不要になるとは限らない。どの情報からどの判断へ進んだかを示すことで、別の解釈とも比較できる。

自作の記録に適用できること

壁観についても、戸板の表面を覆ったという制作事実と、そこから導く解釈は分けて記録できる。写真に見える面、正式ステートメントで述べた意図、後から考察した比較を区別すれば、資料を更新しても制作当時の情報を失わずに済む。[3]

この比較で参照した第三者の解説は、ラウシェンバーグの作品を対象としたものである。壁観への批評として転用することはできない。自作の外部批評を掲載する場合には、その執筆者、対象作品、鑑賞条件と文章を記録し、作者の研究ノートと別に扱う。

Hekikan / 壁観(2026)
Hekikan / 壁観(2026)

語りの出所と、作品の作者

作者が制作を語る資料と、美術館が作品を紹介する文章は、同じ出来事を扱っていても目的が異なる。前者は作者が後から何を説明したかを残し、後者は作品を所蔵・紹介する場から、制作と解釈を整理する。文章の書き手、発言が記録された時点、対象としている作品を分けることで、引用した説明が誰の立場に属するかを示せる。

この区別は、第三者の文章を権威づけとして引用するだけでは得られない。消されたデ・クーニングについての美術館の問いは、その作品の制作と残った物に向けられている。自作との比較に使う際には、どの問いを共有できるかと、どの制作上の条件が異なるかを併記する必要がある。比較対象の評価を借りることと、資料を使って差異を検討することは別の作業である。

出典

  1. SFMOMA「Robert Rauschenberg’s accounts of the making of Erased de Kooning Drawing」資料一覧

    SFMOMA参照文献・外部資料

  2. SFMOMA《Erased de Kooning Drawing》(1953)作品概要

    SFMOMA参照文献・外部資料

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